菊地です。
これまでバングラデシュ、タイ、マレーシアと追いかけて来たロヒンギャ。そんな彼らはここ日本にもいます。群馬県館林にコミュニティを作る彼ら。以下報告です。
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群馬県館林。そこに約200名のロヒンギャがコミュニティを形成し、暮らしている。他国のロヒンギャ同様、多くが難民登録をされておらず、明日の身分も保証されないままの滞在、社会保険にも加入出来ず、病気になっても自腹で全額を支払わなければならない。
A氏に話を聞かせてもらった。彼は2006年に来日。祖国での迫害、また逃れたインドネシアでも結局追い出される形で業者を頼り日本に行き着いた。入国後すぐに難民申請をしたが、4年という期間を待った挙げ句、難民認定は受ける事ができなかった。その結果を受け、異議の申し立てを行い再度難民として認めてもらうべく申請中だが、最終的な結果が分かるまで更に3年という月日を費やさなければならないという。そしてもう3年待ったとして難民認定を受けられるというわけではなく、むしろ現在の日本の難民認定制度からすれば可能性は薄い。
よく日本は難民認定のハードルが高いとして取りざたされる。今年から難民積極受け入れ策という「第三国定住」(他国に緊急批難している難民を自国/日本に難民として受け入れる制度)をスタートさせ、この9月に27名もの難民をタイから受け入れたが、それ以前に日本に直接難民として来ている方々の難民認定がほとんど下りていない。毎年数百人もの難民が申請を出すのに対して日本政府から認定が下りるのは僅か数十名。難民鎖国は続いている。
「日本は1に法律、2に生命。自分たちは日本の制度という名の下に人間として扱われていない。出られるものなら日本を出たい。このまま身分の保証されていないこの国にいても、自分の幸福はもたらされない。入国当初は日本での生活を考え、教材などを買って日本語を勉強していたが、いつまでも難民として認めようとしない日本に失望し、日本語の勉強もしようという気にはならない。自分たちは人間だ。日本が加盟する難民条約とは一体何なんだ。難民認定を待ったこの4年間とは一体何だったんだ。自分はもうすぐ40歳になる。家族とも離ればなれなままだ。自由が買えるなら金で買いたい。」
A氏は涙ながらに訴えた。
今の彼の支えは他国にいる自分の妻と子ども。そしてラーニアヨルダン王妃。
彼女はイスラムの教えに忠実に応え、自らのキャリアを生かし慈善活動を行っているという。彼女のスピーチをパソコン上で何度も聞いては復唱する。今の彼を奮い立たせてくれるものだという。