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DAYS JAPANフォトジャーナリストスクールの卒業生達が自らの視点で世相を斬ります


by photopanda
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「自然エネルギー講座」

『ソーラーのらや てんさん自然エネルギー講座〜その1〜』

☆1
先日、自然エネルギーアドバイザー坂上尚之さん(通称:てんさん)の、
自然エネルギー講座に参加してまいりました。

てんさんは、ご自分の事を、「学者でもなく、オレンジのツナギを着た
ハチマキをした、おじさんです。」っとおっしゃられていましたが、
私は、初めてお会いしたのですが、あたたかくて優しさがふんわりと
包み込むような方で、お話を聴くのが楽しみでワクワクしていました。

てんさんは、仙台で生まれ、福島県の川内村(福島の原発24キロ地点)で、
2011年3月11日の震災まで、自分で標高620mの森を切り開き、家をつくり、
水をひき、自然エネルギー100%で電力の自給自足をし、
約20年間、森で暮らしていたそうです。

「てんさん、スゴイ!」私は素直に思いました。
また、私は、「自然エネルギー100%の電力自給自足」が、
自分にできるのか?を、以前から考えておりましたが、自分から遠い話のようで、
現実的には、相当の設備や覚悟がないとできないのではないかと感じておりましたが、
今回、その「自分にできるのか?」という疑問のヒントがあるのではないかと、
さらに、興味が湧いてきました。

てんさんは、19歳の時にチェルノブイリでの原子力発電所事故が起き、
こころを痛め、衝撃を受けられたそうです。
「あれ?何気なく使っていたコンセントの向こう側の電気って…
 もしかして、命を脅かすものではないか?」
世界 日本 政府の対応をみて、電気にまつわる社会的な問題、
エネルギーって何だろう?っと興味をもち、
それから、てんさんは、「僕は森で暮らしてやる!」っと
強く思われたそうです。

人間・動物・植物などをピラミッドに例えると、
食物連鎖もあり、人間は頂点の部分に例えられますが、
実際、ポンッと野に放たれた時に「どれくらい生きていく能力があるのか?」
そこからも興味が湧き、自分で森を開墾しよう!っと思われたそうです。
そして、場所探しの為に、北海道から沖縄まで旅をし、
その中で、なぜか縁があり、福島県に辿り着かれたそうです。

福島県は原子力発電所(原発)が近くにあり、チェルノブイリ事故後、
電気は何でできているのか?放射性物質って何?基本的な事から勉強され、
原発のメリット・デメリットがあり、それらのリスクも受け入れて、
その中で何ができるのか?っと考え、その頃は、青森県六ヶ所村では、
再処理工場をつくりかけで、そこの反対運動に関わられたり、
また、福島原発は、とっても古い原子炉で安全審査・対策の申し入れなどの
行動をされていたそうですが、

「僕がやるアクションは、そうじゃないのではないか?」

僕は今いる場所で、どれくらい電力を使っているのか?
まず、それを知り、森を切り開き、小屋をつくり、沢から水をひき、
電力を自然エネルギーで自給自足していく事が、
僕のアクションではないかと感じられたそうです。

てんさんの家の近くには沢が2本流れており、
この水の流れはエネルギーの塊である!
『電力の自給→まず、水力発電』から始まりました。

しかし、水力発電には問題もあり、東北の冬は寒く、
冬には氷のかたまりになってしまったり、秋には落ち葉が
つまってしまったり、台風では水の取り出し口がつまったり…っと、
窮屈な思いをされることもありました。
そこで、出逢ったのが「ちいちゃな太陽電池」でした!

その太陽電池で、てんさんが、自然エネルギー100%の電力自給自足を
されている事を知った人達が、「うちにも太陽電池つけて下さい。」っと
“太陽電池”の噂が噂を呼び、それが、なりわいになり、
『ソーラーのらや』が誕生されたそうです。

ここからは、森の開墾の話などに移ります。
「森の開墾」イメージできますか?
私は、パッと思い浮かびませんでした。

まず、大きな木や笹があるのでそれを切り、草刈りをして、
①テントを張るスペースをつくる。
②そこで、焚き火とランプで暮らす。
③山の木をはらい、木をおろし皮をむき製材。
④小さい小屋をつくる。※人間的な暮らしを始める…
⑤開墾から12年、家ができる。

そして、電力会社の電気を使わずに自然エネルギーで、
「あるもので、どれだけ暮らせるのか?」
また、鍬一本で田んぼをつくり、黒米をつくり、
畑で一年中、豊で食べきれないほどの作物をつくりながら、
おかずはハエやアブを捕まえて、沢でイワナを釣る…っという生活。
※家族4人なので、4匹釣ったら終りです。

てんさんの、チャレンジが始まりました。

☆2

てんさんが住んでいた場所は、水が豊で沢から生活圏内に水を7本引き、
1年中24時間、台所の蛇口からは水が出っぱなしだったそうです。
(※蛇口を閉めてしまうと、沢の水を引いているホースが取れてしまう為。)
そこから、余ったキレイな水は管をつなぎかえ、
手づくり冷蔵庫へと使われていました。

てんさんは、電力会社からの電気はひかずに暮らしてみようと決めて、
自然エネルギーでの電力自給を思い立たれましたが、
太陽電池は日中晴れている時、風力は風が吹いている時に発電されるので、
常には、電気を取り出せず、なかなか安定しないという点があり、
電気でなくてはいけないものと、電気じゃなくていいものに分けられたそうです。
例えば、電気でなくてはいけないものに、照明・明かりなどがあります。
(開墾の時、てんさんは原始人のように焚き火の明かりだったそうです。)

また、てんさんは、チェルノブイリでの原発事故が起きた19歳の頃、
エネルギーは命を脅かすものからつくられているのではないかと感じられ、
大人のウソも多くて、エネルギーを熱源に使うとロスが多いことも知ったそうです。
(※イメージとしては、触ると「熱い」「冷たい」これら両方熱源です。)
熱源を利用したものとして冷蔵庫がありますが、てんさんも電気で動く冷蔵庫を
持っていたのですが、常時は動かさなかったそうです。

てんさんは、沢からの水を利用した手づくり冷蔵庫を持ってらっしゃり、
その手づくり冷蔵庫とは、たまたま拾ってきたアルミの風呂桶を半分土に埋め、
(※アルミは金属の熱伝導率が良く、土は上手に利用すれば、
  断熱材になりえるそうです。)
それに水を入れて、濡れないように工夫して食べ物を入れます。
また、その風呂桶に、毛布や着れなくなったTシャツなど何でもいいので
布を垂らしておくと、毛細管現象(※濡れたものを水に置いておくと、
水がだんだん上からあがっていくイメージ。)が起き、
大気にふれた水が蒸発し熱を奪い、中が断熱され温度を下げてくれるそうです。
また、夏場の大気中は30℃くらいですが、沢の水は13℃くらいで、
そこから、毛細管現象により、条件がいいと4℃くらい下がるとのことで、
常時は、電気の冷蔵庫を使わない生活をされていたそうです。

てんさんが、くり返しおっしゃっていたのは、
「僕は原始時代ではなく、近未来を目指している」というもので、
電気の冷蔵庫も持っていて、夏はアイスクリームが食べたいよね!っと思う日や、
氷が必要な時は、そこを否定せず、年に何回か電気の冷蔵庫を、太陽電池の電気で
利用されていました。しかし、ほぼ手づくり冷蔵庫で、事足りており、
「極端な肉食・極端な加工食じゃなきゃ大丈夫!」っとおっしゃられていました。

一旦ここからは、てんさんが2011年3月11日に被災された話に移ります。
てんさんは3月11日に避難されたのですが、それまでは、森で暮らされていて、
風力・水力も扱う太陽電池屋さんでした。

午後2時40分ごろ、ご家族で外でおやつを食べている時に、
今まで経験をしたことのない揺れに襲われました。
それは、突然ふざけて後ろから誰かに押された感じの、空間が歪む位の揺れで、
トランポリンにのっているような感じだったそうです。

その地震の後に一番に気になったことは、近くの原子力発電所だったそうです。
てんさんは原発の近くでわざと暮らし、わざと電力会社の電気を使わずに
自然エネルギーで電力自給していたのですが、自分だけが、様々な柵からぬけたら
いいとは思っておらず、常に意識の中では、原子力発電所の近くで暮らしていて、
子育てもしている認識が強烈にあったそうです。

ニュースでは「原子力発電所は自動停止している」と流れていたそうですが、
てんさんは、本当かどうかを確認に行かれたそうです。その確認方法とは、
てんさんの家から少し離れた所には福島原子力発電所から東京へ50万ボルトの
電線が通っており、その電磁波を計るというものでした。
計った数値は0ミリガウス(電磁波ゼロ)だったそうで、
「あれ?ちゃんと止まっているの?送電が止まっているだけで、
 もしかしたら電源喪失をし、大混乱をしているのではないか?」っと
想像されたそうですが、まずはラジオで情報収集をしながら、
子供たちにご飯を食べさせ、寝かしつけていたところ、
夜9時のニュースで、“実は冷却電源が全部喪失していた”という事を知り、

「あぁ、ついに恐れていた日がきてしまったか…
よし!もうここにはいられない。あれから5時間も経っていて、
今ごろ燃料が溶けているんじゃないか…大切なものだけ持っていこう。」っと
30分で奥さんと避難の準備をされたそうです。

てんさんの大切なものとは、避難先でも、電気が確保できるように、
エネルギーシステムの太陽電池・蓄電池・変換機
(※これらが三点セットでアルミのハードケース入ったもの)と、
手づくり太陽電池だったとの事で、これは災害時にすごく大切と思われたそうです。
また、奥さん(ちあきさん)は、粉ミルクの缶を手に持たれており、
その缶の中身は、ここにはもう帰ってこれないから持ち出したもので、
薫製にして保管していた子供の胎盤・へその緒・卵膜との事で、
「これだけはお金にかえられない。私の宝物」っとおっしゃられ、
車にちょこんと座って、待っていたそうです。

私はその話を聴き、避難する時に持ち出す、大切な物って何だろう?と
考えました。まず思い浮かんだのは、お金でした…。
そして、それ以外、物にはそれぞれ思い出もあり、なかなか、
てんさんや、ちあきさんのように潔くできない自分がいて、
物欲があり手放す事をためらっているのだと気づき、情けなくもなりました。
改めて、物を買うことや、今持っているもの…そして、
“大切なもの”を見直して考えていきたいと私は思います。

また、てんさんや、ちあきさんのように、潔く大切なものを持ち出せることは、
大切なものは普段から“物”ではなく、家族と過ごす時間であったり、思い出や、
自然を感じながらの生活など…こころ豊かに楽しむというものを、
大切にされてらっしゃるのではないかと私は感じました。
私も、てんさんや、ちあきさんのように、こころ豊かな人になりたいです。

話を戻しますが、避難後、一番最初にした事は、ガソリンを手に入れること
だったそうです。東北地方の沿岸部は、国家の備蓄基地が青森県にあるくらい、
すごく石油の精製施設(火力・原子力の発電所も含め)が多いので、
てんさんは、津波・地震の被害で、もしかして、製油所・備蓄基地まで
被害が及んでいたら、ガソリンが手に入らなくなるのではないかと考えられ、
2時間かけて福島の町へ、ガソリンを買いに行かれたそうですが、
わりとスムーズに入れる事ができたそうです。
しかし、その後は、長蛇の列ができており、
ガソリンを入れる事ができなかった現状があったとの事でした。

原子力発電の事故の鉄則は、「風上へ、なるべく距離をとる」との事、
まずは、宮城県に避難されたそうですが、情報収集をしていると、
そこが風下になってきている事がわかり、今度は山形県へ避難されたのですが、
行き着くまでは、ガソリンがどんどん減り、たどり着けるのかわからない…
ガソリンも手に入らない…後ろからは放射性物質も迫ってくる…
まるっきり、着の身着のままで避難してきた為、服も食べ物も少なく、
まるで、SF映画のようだったとおっしゃられていました。

その頃、東北地方は大混乱しており、津波の被害もひどく、
原発の状況も刻々と変わっており、心構えのない人が、どうしたらいいのか
わからない状態だったそうです。

☆3


てんさんの生まれ育った場所は、仙台の沿岸部だったそうですが、
山形県での避難先で、初めてテレビで仙台の姿をみた時に、ものすごく、
衝撃を受けられたそうです。それは、まるっきり壊滅していて、
友人の家も、通いなれた通学路も、何もなくなっていたからです。

しかし、その被災地の状況の中でも、通信車を携帯電話の会社などは、
一早くだされており、普段電波が入らないような場所でも、電波がバッチリ
入るようになっていたそうです。ところが、携帯電話の充電ができない為、
安否の確認もできず、今、自分がどこにいるのか発信できない状態になっており、
真っ暗闇の中で、多くの人が混乱している状況だったそうです。

てんさんは、“必要な場所に、必要なだけの電力を生みだす”ことが
できれば…っと思われ、それは小さな自然エネルギーで可能だ!っと感じ、
自分にできる事としてエネルギー支援を行おうと、ホームページを立ち上げ、
支援金を集め、その集まったお金で購入した太陽電池のパーツをもとにして、
2011年の8月まで、テントをはりながら太陽電池支援プロジェクトを
行われていたそうです。

私はその話を聴き、ご自身も被災されているにも関わらず、
このような支援プロジェクトを考え行動に移されてらっしゃり、
今までされていたチャレンジを行動で示されているてんさん(ご家族を含め)を、
ありきたりな言葉なのですが、「すごいなぁ…やさしいなぁ…」と感じました。
私だったら、自分のことで精一杯になっていたのではないかと思います…。
てんさんや、ちあきさんを見習い、
自分の器をひろげていきたいと私は感じました。

また、法的に規制がない太陽電池の相談を受けた際は、中古の太陽電池を
勧めてらっしゃるとの事、中古メリットとして捨てられていたものを
リユースする事や、エネルギーペイバックタイムという考え方があり、
1枚の太陽電池を作るのに、どれだけの電力を使うのか?それが発電して、
何年でモトがとれるのか?というもので、この考え方に当てはめると、
中古品を使う事は、全体的なコストダウンにも繋がります。

しかし、てんさんは、太陽電池は未来へ向けてのバトンのようなものなので、
もちろん金銭面も大切なのですが、エネルギーペイバックタイムの考え方には
重きを置いていないとの事でした。
また、もう一方の中古品についてですが、表に出ていないのですが、
水面下で取引があり、何年か経つと壊れていないのに、
ゴミにして捨てられているようなバカな話があり、
それを持ってきて辻褄を合わせて、もう一度、誰かが使う…
これが、僕は素晴らしい事だと思うっとおっしゃられていました。

ここからは、太陽電池についての話に移ります。
まず、太陽電池は、アムルファスと結晶系に分かれいます。

・アムルファス→スプレーでシューっとシリコンをふきつけたイメージ。
        ※ペラペラしていて、薄くて曲がります。
・ 結晶系  →シリコンの塊を輪切りにしたイメージ。
        ※主流になっているもので、固くてしっかりしています。

太陽電池はシリコンで出来ていますが、
それは、何で出来ているのかご存知ですか?
私は知りませんでした。そういえば、考えたこともなかったです。
まず、シリコンのイメージは…
おっぱい・鼻の整形や、お菓子の中に(シリカゲル)使われていたり、
おおざっぱに言うと、ガラスもシリコンで出来ています。
シリコンとは、ケイ素という元素で出来ており地球上で2番目に多い元素との事、
それを電気で精製し、純度を上げて、99.9…小数点以下9個以上ついたものが、
太陽電池の原料になっているそうです。

また、てんさんは、自然エネルギー100%で電力を自給されてらっしゃいましたので、
自宅には太陽電池システムが、大小含め11個もあり、
(↑てんさんの場合はできました。)
例えば、1つの太陽電池にパソコンや電話をつないでいました。
(※1つのシステムに1つの電化製品)このように分散していると、
1つがダメになっても、替えがあるので、電気が足りなくなる事は、
ほぼなかったとの事です。また、太陽電池は光を電気に変えていき、
それを蓄電池にためて、雨の日は、その貯めていた蓄電池から
電気を使っていたそうです。
そして、これらのシステムに問題があるとすれば、
逆に“電気余り問題”だったとの事で、晴れの日が続くと、
電気が余ってしまい、そんな時は、てんさんは洗濯係だったそうなので、
もったいないので家中のものを洗濯したり、
パン焼き機でパンを捏ねていたそうです。
(※電気を熱に変えてしまうとエネルギーのロスが多いので、
ゆえに、電気でパンを焼かず、捏ねるだけで、
それを焼くのは薪のストーブだったそうです。)

このように、てんさんの家は明るく豊かに暮らされていました。
しかし、自然エネルギー100%で暮らしていると言うと、
イメージとして薄暗くて、貧乏な暮らしと思われがちですが、
てんさんが向かいたいのは、「原始時代ではなく近未来」だからこそ、
惨めじゃダメだとおっしゃられていました。

てんさんの家の下の方に小屋があり、その夜の風景を写真でみたのですが、
明かりが数カ所に分かれ、煌々としていて、情緒もあり素敵でした。
なんと、その明かりはすべて合わせて50W(ワット)使っていない電力で
賄われているとの事で、50Wの明るさをイメージできますか?
私はピンっときませんでした。ピンっとこないという事は、
いかに普段から電球のWを気にせずに電気を使っているのか…
身近なことを、知ろうとせず、おざなりにしている自分に気づき、
早速その日の夜、まず、自分の使っている電球(2個)を確認しましたら、
12W×2個:計24Wでした。
これからは、W数も気にして節電したいと思います。

また、標準的な白熱電球は60Wっと言われており、
触ると熱いものになっています。先程お伝えしましたパンを焼くと
エネルギーのロスが多い話にも繋がりますが、
白熱電球の話では、本当は“光”をとりたい明かりですが、
“熱”に変わってしまう為ロスが多く、そして、明かりが欲しいのに
90%以上が熱に変わってしまっているので、その分がもったいない!っと、
感じられ、その小屋でお使いになられていたものは、
発光ダイオード(LED)で、1つが4Wくらいのものだったそうです。
(※白熱電球のあかるさ)
会場から「えっ~4W!?」っと驚きの声がでる位、
そのLEDの電球は明るかったです。

てんさんのテーマに、
「ちいさなエネルギーで、どれだけ豊かに暮らせるか?」があり、
例えば、標準的な白熱電球(60W)と同じくらいの明かりを、
LED(4W)で可能にしていますが、
「こういったものをカバーしていくのがテクノロジーではないのだろうか?っと
思うと同時に、僕たちの社会を変えるのはテクノロジーかといえば、
そうとも言えない胸の内があり、いっぱいの太陽電池があれば何でもできて、
オール電化も可能ですが、しかし、はたしてそれが、近未来かというと、
僕はそうとも思えなかった。
ちいさなエネルギーで惨めになってはいけない、その答えが、夜の小屋の明るさであり、
「50Wも使っていない僕ん家の暮らしのあかり。」おっしゃられていたものは、
てんさんのチャレンジのお話でもありました。

…ゆえに、テクノロジーを利用しつつ、しかし、それだけに頼るのではなく、
大切な根の部分は、まず自分達のエネルギー消費を、
自分で減らしていくことではないかと私も感じました。

つづく

「自然エネルギー講座」_a0144335_1114488.jpg

 2012/3/11 GOODBYE NUKES さよなら原発!福岡デモ
makiko tanaka
by photopanda | 2012-04-05 01:14 | 環境・公害